川崎市立日本民家園
川崎市の日本民家園は、生田緑地内にあり、伊藤家の移築をきっかけに誕生しました。江戸時代の民家を中心に保存、展示していて、地元である川崎市の民家や、九州~東北の民家も移築しているため、その形態も多様です。それらの家々が造成された土地に点在していて、村のような体をなしています。
前日の大雪によって雪化粧をした民家を見ることができたのは幸運でした。当日の朝からは晴天で、茅葺き屋根から雪溶け水がしたたり落ちている中を見物しました。ほとんどの屋根には軒樋が無いため、軒先から中に入る時は滴に注意がいりました。大部分が雪に隠される中、合掌作りの屋根は強い傾斜おかげで茅屋根が表れているのが分かりました。雪が積もっているため、山を背にする井岡邸では奥の部屋の障子からは強めの光が入っていたりと、特殊な状態を見れる日に訪れることができました。
木名瀬の解説付きのため、一人で来ても分からないことを知りながら見れました。例えば合掌作りには大きく二つのスタイルがあって、五箇山を代表とする富山側の妻入スタイル、白川郷を代表とする岐阜側の平入スタイルということ。民家園にもどちらもありますが、それぞれにもそのスタイルの中で差異が見つけられます。いくつかの住宅では柱分だけの奥行きを持った床の間、「押板」が見られ、農家でも床の間を持ちたいという考えがあったということが分かりました。
中に入って見ていると、木の曲がりもそのまま使い、気密性を気にしていないように見える家には、今の住宅とは全く異なる空間性を感じます。特に江向家の柱や、作田家のぐねぐねに曲がった梁は荷重を計算して考えられたというより、経験や感覚で作られているようにも感じられます。茅葺き屋根の持つ、柔らかい曲面と、繊細で機能的な断面を見ると、多くの人の助けによって作られた作品のようにも見えます。そしてそれは屋根だけでなく、民家はそれ自体、多くに人の助けによって作られたものですので、にじみ出る迫力があります。
衣食住がその人のアイデンティティを表すとすれば、この時代を生きた人の生活のおおらかさを感じらます。そして同時に、現代の厳しさがうかがえるのではないかな、と考えました。
(写真:山王、文:塩谷)