シアトル市民図書館(シアトル)
2000年 設計:OMA(LMNとのJV)
ワシントン州のシアトルは、成長著しい都市である。偶然シアトル行きの飛行機で隣の席に座っていた方が、アパートメントの需要が急増していると教えてくれた。彼女はシアトルで建築設計に携わっている。アメリカ西海岸では、ロサンゼルスやサンフランシスコでは地価が高く、まだ比較的土地の余っているシアトルおよび近郊に人や企業がだんだんと流れてきている。スターバックスやボーイング、近郊にはマイクロソフトが本社を置いている環境や、過ごしやすい気候や自然が近いのも理由として大きいのだろう。
シアトルダウンタウンには、1962年の万博のために建てられたスペースニードルや、隣接したF.O.ゲーリーのエクスペリエンスセンター等、ランドマーク的建物がある。しかし、特別に惹かれるのがOMAによるシアトル図書館である。
OMAは、シアトル図書館の、「Public Libraryであること」に特に注力して設計している。図書館は、オープンでフリーな公共建築。だれでも無料で利用できる建物。1階エントランスは、大きく張り出した部分が庇になり、出入り口前をオープンスペースとしていて、ゆったりしている。3階エントランスは中に入ると大きな「living room」があり、あたかもターミナルにいるような感覚になった。内外の境界が曖昧で、少しずつ内部空間に入って行く感じ。閉架書庫が無く、どの本にもアクセスできるようにしている。
建物の外観は、変な、ともクールな、とも言えるような形態で、柱型、壁、窓や装飾といったボキャブラリーは無く、ガラス張りのモノリシックな結晶のようだ。
図書館の敷地は1街区分の大きさがあり、東西を5th Avenueと4th Avenue、南北をSpring StreetとMadison Streetに挟まれている。西側の海から急な坂が続いているため、4th Avenue側は1階、5th Avenueは3階から入るようになっている。周囲はオフィスや公共建築、飲食店やホテルなどが並んでいて賑わっているが、5分も歩けば海の気配を感じることもできる。
それまでの利用状況や、それからの蔵書の増加、利用者や管理者の使い方を整理し、明快に9つの場で空間を構成している。それらは性格が異なるため、空間性も様々にしている。ガラスの大空間が、9つの場を積み重ねた、11層分のボリュームを包んでいる。
3階を俯瞰する。大空間がいろいろな活動を許容している。3階「living room」でくつろぐ人たち。ひだまりが気持ち良い。
9つの場とは、地下の「parking」、1階の「kids」、2階の「staff」、3階の「living room」4階の「meeting」、5階の「mixing chamber」6~9階の「spiral」、10階の「reading room」、11階の「head quarter」である。
この9つを、大きく「固定的な機能」と、「流動的な機能」に分けた。「parking」「staff」「meeting」「spiral」「head quarter」が固定的な機能、すなわち時代が変わっても利用の仕方は基本的に変わらない。「kids」「living room」「mixing chamber」「reading room」が流動的な機能で、時代の変化に伴って利用の仕方が変わる。そう定義して、それらを垂直方向に交互に積んでいる。メディアがどんどん変わって行き、かつては無かったものが必要になり、逆に必要だったものが不要になる。その度に当初設計段階で想定していた機能が侵し合うのを防ごうという考えが、とても腑に落ちる。
ガラスのスキンと機能は切り離されているようで、関連し合っている。それに建物の外の環境が影響を与え、建物が完成していて、極めて生物的な建築に思える。
建物に入っても、ガラス張りのため外の気配を常に感じることができる。視線の抜けが多いのもこの図書館の特徴だ。一階のホールは天井が開放されているため、何かが行われていることがいろんな位置から感じることが出来る。4階(meeting)は、目がおかしくなるほどに床、壁、天井が真っ赤な空間が展開する。奥行きもつかみにくいほどすべてが内臓のように赤い。
一般的な開架図書室に当たるスパイラルライブラリーも然り、いろんな部分が見え隠れする。スパイラルライブラリーを歩いていると、数ヶ月前に訪れた新居千秋氏による大船渡リアスホールを思い起こさせた。外観や敷地条件等、全く異なるが、図書館の開架エリアがスロープで構成されていることや、抜けの感覚が共通していると感じた。
プログラムがそのまま建物になったような建物のようだが、空間的にも居心地が良かった。図書館は収益性が無いため、それだけその地域の文化力が表れる。シアトルがこの図書館を受け入れていることは、都市にとっても、市民にとっても幸せなことだと感じた。(文・写真:塩谷太一)