木名瀬佳世建築研究室 KINASE KAYO ARCHITECTURE LAB

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谷中探索記

谷根千と呼ばれる地域がある。
谷中、根津、千駄木の頭を取って作られた呼称で、この地域を扱った地域雑誌の名前として誕生した。お寺や古い邸宅、町家をみることができたり、露地では懐かしい雰囲気を楽しめる。古いものを使い続けたり、使い方を変えて生き長らえさせることで、町並みの深みを増すことになることが分かる。
今回は主に谷中エリアを歩き、生きた古い町並みを見て回った。
言問通りのカヤバ珈琲でのモーニングからスタートし、次に隣の旧吉田屋酒店、朝倉彫塑館、はん亭 にて昼食をとり、ミカドぱん店へと歩いた。

カヤバ珈琲は、大正時代に建てられ、改修を重ねて使われ続けられている。角地に建ち、向かいの旧吉田屋酒店とあいまって、交差点に独特な雰囲気を持たせていた。
もともと、向かいの旧吉田屋酒店で見られるように、摺上げの格子戸だった間口を、昭和十三年に喫茶店を始める際に現在の構えに改修した。一度閉店し、2009年に内装を改修し、再スタート。用途や時代に合わせて、少しずつ手を加えて使い続けられている。
古い貫禄のある木造建築に、桁や垂木の木口に塗られた白色、看板の黄色が、外観の差し色のように見られて楽しい。

2009年の改修は、建築家の永山佑子氏による。2階を見通せる天井のアクリルや、奥の壁一面に設置された仕込み照明など、面の挿入が見られる。それらの素材のもつ透明性や反射性といった現代的なボキャブラリーが若い世代にも受け入れられていると感じた。
モーニングは待たずに入れたが、昼過ぎに通った時には行列が出来ていた。

旧吉田酒店は明治43年に建てられた。町中にある100年の歴史を持つ建物である。
こちらでは摺上げの格子戸や、取り外せる敷居が当時のまま残っていて、商家特有の建具の工夫が発見できる。
迫力ある断面の鴨居や一枚板の色あせた看板、当時使われていた道具、珍しい一斗瓶など、建物、展示物ともに目を引き、楽しませてくれた。

朝倉彫塑館は、彫刻家の朝倉文夫の自宅兼アトリエを展示スペースとして公開している。面白いのは、朝倉文夫自身がデザインを考え、大工が作ったという過程である。その過程や、時代背景については本人が「我家吾家物譚」という著書に描いている。最初は小さな住宅から始まり、少しずつ仕事の大きさに比例して住宅兼アトリエを大きくして行く過程が綴られており、その楽しそうな様子が伝わってくる。
最初の展示空間は元アトリエということで天井が高く、入り隅はアールを多用していて光が柔らかく降りてくる。そこには背の高い作品を作る際に必要とした乗降台があり、無理な態勢をせずとも、像の高い位置の製作に取り組めるように考えたという。
中庭(池)を取り囲んだ建物は、コンクリートと木造で作られていた。朝倉文夫はコンクリートは好かないが、作品の管理等を考え、仕方なくコンクリートを採用したという。木造部分はこだわりが溢れている。朝倉文夫の工夫やセンスと、大工の技術が楽しめる建物である。

はん亭は、明治時代に建てられた、登録有形文化財に指定されている建物において営まれている串あげ屋である。戦争や地震にも耐えたのに、道路拡張によって姿を変えさせられてしまった。
珍しい木造3階建で、階を重ねるごとに広がって行くような形態は不思議な安定感がある。屋内に倉があり、そこにもテーブルが用意されている。我々は2階の座敷で昼食を頂いた。
木造3階建は珍しいが、伊香保温泉、横手館のように旅館建築で見ることがある。華奢なイメージの木造で3階以上重なっていると、直感的に不思議に感じるのかもしれない。

みかどパン店は三叉路に立つ店で、シンボリックなヒマラヤ杉は、戦後からの数十年でここまで大きくなったという。壁から生えてきたような印象を持たせる。枝葉は道路を越え、向かいの敷地にまで覆っていて、もの凄い生命力を感じる。
雑誌「谷根千」の記事に掲載されていた写真では、建物を突き抜けるようなエノキが写っていて、迫力あったが、それは切ってしまったそうだ。
古いものと新しいものが混在する東京の中でも、良い形で古いものが残っている町の一つ谷中。外国人観光客も多く、我々も部外者として面白く見て回った。一方で「谷根千」でも取り上げたり、ヒマラヤ杉を残そうとする動き等、住民は町の魅力を再発見したり、広めたりしながら維持しようとしている努力が感じられた。
(写真:山王、文 :塩谷)